異邦人感覚
なんとも表現しようのない感覚を、端的に表現されると、カタルシスを感じる。最近、作詞家なかにし礼さんの、「異邦人感覚」という表現に、まさにそれを感じた。
なかにし礼さんは満洲で生まれたが、1945年の日本の敗戦によって満洲国が崩壊し、8歳だった彼は日本へ追放された。満洲にいても、日本にいても、彼には常に異邦人感覚が付きまとっていた。
自分の場合、日本にいると日本人らしくなく、アメリカにいると日本人すぎる―そんな「よそ者意識」が常について回る。これは、これまで何度も周囲の人から指摘され、自分自身も感じてきたことだ。
おそらく、移民や両親の国籍が異なる人、特異なキャリアを歩んできた人、LGBTQの当事者やビーガンなどのマイノリティも、同じような感覚を抱いているのではないだろうか。境界線上で生き、明確な帰属意識を持たない人たちの気持ちは、自分にもよく理解できるように思う。
今思えば、異邦人感覚を持つことはさほど大きな問題ではない。社会全体に溶け込む必要などなく、自分にとって大切な人がそばにいてくれれば、それで十分なのだ。
ただ、この寂しさが単なる幻想だったと言い切るのは容易い。しかし、そう思えるようになるまでには、時間が必要だった。